オナ禁0日目【リセット】
【気力】やや高
【継続日数】54日
オナ禁54日目でセクリセ達成しました。
マッチングアプリで出会った女の子との居酒屋夜アポからのホテル準即です。
相手の終電時間が迫り「そろそろ帰ろうか」と飲み屋を出たあと、ハンドテストで食いつきが良かったのでそのまま改札前でボディタッチを駆使しながら間を持たせて終電を逃がさせることに成功。そのままコンビニに寄ってからホテルへ。
襲い来るチングダと遅漏を乗り越え、無事セクリセ達成しました。
色々と反省点や思うところはありますが、
ひとまずは思い描いた行動を実現できたことに関して自分を誉めたいと思います。
合言葉はテストステロンのために。
そう、全てはテストステロンのために!
デトックスの重要性
情報過多な今、必要なのは引き算
足りないものばかりで泣けてくる時がある。
なんで俺にはこんなに何も無いんだって。
でもそうじゃないんです。本質的には何が必要なんだってのを考えられてないからそういう風に思っちゃうんです。
人と比較してより多くを持ってる人って、絶対心の中で「俺(私)は周りよりもイケてる」って思ってる。自分よりも下だと感じる奴を前にすると自覚的にせよ無自覚にせよ精神的にどこか安心し、自らの優位性を確認するかのようにそこが組織内であれば周りにこの格差を誇示するし、対面であればどこか粗雑に扱うかのような振る舞いが滲み出てくる。
ただし忘れてはいけないことは、上には上がいるということだ。
ここ最近俺はウバ活に勤しんでいて、ママチャリ1つで23区を駆け回っている。その活動の中で、都心ではいわゆる上流階級からの注文が来る事もけっこうあり、お届け先には六本木ヒルズの何十階だったり、青山地区の高級ホテルみたいな広大なマンションだったり、湾岸エリアのタワマンなどが指定されることもある。今の俺には全く手が届かないような高級住宅だ。
そこの人々の暮らしが垣間見えるとき、なんだか俺は日々自分が感じてる周囲に対する劣等感が本当にこの世のカスみたいに思えてくる。この人らにはまた違った悩みがあるんだろうけど、俺みたいな持たざる者の欠如感みたいなものとは一線を画す次元のものなんじゃないか。そしてもっと上は腐る程いる。
そう思ってたんだけど、いや待てよと。
むしろ本質は同じなんじゃないのかな。
他人が持っているものを見ては自分は足りない足りないと悩む機会は、中途半端に持てば持つほど多くなりそうだ。
金、女、身長、ルックス、才能…。俺は他人が持つ"それら"を歯軋りしながら羨んで欲しているわけだが、頑張って手に入れても上には上がいるわけで、自分より持っている人が目についてその度に悔しくて仕方なくなるわけだ。
それってアホくさいよな。
だから、本質を突き詰めて、俺にとって何が幸せなのか、俺は何を欲しているのか、抽象化と具体化を繰り返し行い、それら以外は「デトックス」するぐらいがいいのかもしれない。
日常の中で自分の意思はなんなのかを真剣に考えたとき、要らないもの、デトックスの対象になるものは様々ある。
そう、何をやるにも「そこに自分の意思はあるのか」を問い続けていきたい。
スマホでちまちまYahooニュースを見てる時間に意思はあるのか?無いなら情報デトックスだ。
他人と比較して自分には無いと嘆いているその無駄な時間に自分の意思はあるのか?ないならその欲望も一旦デトックスだ。
日常の中のちょっとした行動に自分の意思はあるのか?無意識が大半の行動を支配すると言われているし、別にいちいち意思なんて無くてもいいけれど、それによって無駄にお金や時間を費やしているのなら一度考えたほうがいい。それはただ脳内をドーパミン分泌の報酬系に支配されてるからってだけの行動じゃないのか?もしそうならドーパミンデトックスだ。
プラスするんじゃなくてマイナスしていく思考、自分の意思を持って要らないものはデトックスしていく重要性、これらを意識して生きていきたい。
ホルモンに振り回される僕ら
真剣に悩んだ末の結論
散々言われているけど、男のモテを決定づけるのはテストステロン分泌量がすべてだ。
テストステロン値を高めることが見た目、メンタル、行動力、やる気、あらゆるものに関わっている。モテのアルファオスになりたいのであればテストステロン上昇を第一に考えるべき。テストステロンは常日頃の己の思考と嗜好で上下するから、常に勝つマインドを持って自分の内面からまず改造するべく修行に励むべし。
阿部寛のような、男顔と言われる造形の持ち主は一般的にテストステロン値が高い傾向にあるという。ギラついた目、鼻筋、肩幅、喉仏、逞しい筋肉、低い声、それらは全てオスの象徴だ。女にはない。
テストステロン値を上昇させることで顔つきは確実に変化する。何なら目鼻立ちといった造形そのものまで変わるんじゃないかとすら思う。
モテるために意識すべきことはテストステロンだ。
俺の話で言うと、テストステロン量が低い事でこれまでの人生損ばかりしてきたように思う。
優しいよね。かわいいよね。笑顔がいいよね。色々言われてきた。彼女のいなかった隠キャ大学時代、奥手だけど誠実で優しいところが俺の異性としての魅力なんだとアイデンティティを保っていた時期もあった。
小さい頃は従姉妹のおさがりの服だからと女の子の服を着せられていた時もあった。小学校の頃はピアノを習い、納豆を1日3パックは食べていた。納豆にはイソフラボンが多く含まれており、このイソフラボンとは女性ホルモンであるエストロゲンと似た働きを持ち、美容などに効果を発揮するが、精神的ギラつきを抑えてしまうように思う。男らしさを欲するならイソフラボンの過剰摂取には注意だ。
男性ホルモンが上がりにくい生活習慣だったのかもしれない。そして男らしさに欠けた草食男子が1人出来上がった。
俺みたいな男は結構多いのではないだろうか。
自信がない自分が嫌いで、でもテストステロンが上がりにくい生活に慣れきってしまっているから、無意識になよっとした思考、振る舞いをとってしまう。そんな男。
今こそテストステロンを上げるために一緒に奮起しようではないか!
テーマソングと共に過ごす
口々に言うよ Wanna be Crazy
ピカピカピカりと光る 銀色のミラーボールよ
くるくるくるりと回って 夜を踊らせてる
いつもの事さ
チラチラチラチラ見てる ショートヘアの彼女と
くるくるくるりと踊って 夜を飛び立ちたいのさ
もうじき奴らが来るころさ
チルアウト チルアウトしようよ
Yogee New WavesのSummerには軽やかな男の都会のロマンスの情景が描かれている。
この曲は最近の私のテーマソングであり、朝起きて身支度をする際なんかに流したり口ずさんだりしている。
こんな感じで、その時々に合わせたテーマソングを決めて、その曲の世界観にどっぷりはまり込みながら毎日を過ごしていると、なんだか奥底から活力が湧いてくる実感がある。
自分を突き動かすテーマソングは人によって違ったり、人生のステージによって違う。そのときの自分に合った曲を決めて、口ずさみながら過ごすような、音楽が流れているような余裕ある空気感を纏って日々を過ごそう。
人生を動かすには行動しかないけれど、行動をするには心を突き動かさなきゃいけない。その有効な手段として音楽は最適なんだろうなと思った。
脳には大脳辺縁系という快や不快、不安や怒りなど、生物の原始的な感情をつかさどる領域が存在し、音楽というものはその大脳辺縁系にダイレクトに突き刺さるものらしい。好きな音楽を聴くと、大脳辺縁系のA10とよばれる神経が刺激され、快楽物質であるドーパミンやβエンドルフィンが分泌される。音楽は人を本能的に刺激し、快の状態へと向かわせるのだ。なので、不安や緊張を感じる時に音楽を聴くことは一定の効果があるといえる。
本能に訴えかけるポテンシャル、どんな言論よりも強力に人々の情動を掻き立てる、音楽。
どんなタテマエがあろうと、人々の本能にスッと入り込んで快楽を与えてしまう、音楽。
俺は音楽になりたい。音楽のような軽やかで嫌味のない存在になりたい。
今日もまたお気に入りのテーマソングを口ずさみながらチルしていきましょう。
ローソンの看板書ける?
ネットのとある書き込み
もう一年以上も前、とあるYoutube動画を見ていたときに、そこに寄せられたコメントのなかでおもしろいものがあった。
「ローソンの看板書ける?それかセブンの看板、ファミマ。
人生で何回も見てるのにちゃんと書けないでしょ?
でも次もう一回、書こうと思って見たら、一発で書けるよね?
これベストセラーだから、意識したら周りに持ってる人がちゃんといることが分かっただけ。
引き寄せてるわけじゃなくて、見えるようになっただけ。」
これは「とあるベストセラー本の存在を知りその内容を実践していたら、電車のなかでそのベストセラー本を読んでいる人を見かけ、同じ読書仲間を引き寄せている気になった」というコメントに対しての返信内容だった。
たしかに、コンビニの看板なんて毎日見てるのに、書けと言われても書けないなぁ。
それぞれ見ている景色は全く違う
自分が変わるきっかけはまず自分の意識が変わることからだ、ということがよくわかる。この世は、見ていたって本当は見えていないもので溢れている。
街を歩く一人ひとり、それぞれに見えているものは全く違う。同じ場所に立っていても、自分には全く見えていないものが見えている人がいる。もちろん、周りに見えていなくて自分には見えているものもあるはず。そこに優劣なんてあるのか?きっとない。どうせ僕ら100年後には皆死んでる。見えているものに優劣なんてない。どれも等しく価値などない。みんな違ってみんないい。だったら、自分の見たい景色をみればいい。
最も重要なのは、自分が見たいと思う景色はなにか?ということ。自分が書けるようになりたいものは何だ?自分のなかのローソンの看板は一体何だ?書けるようになりたいものは何だ?まずはそこを自覚することからだ。
表と裏
本音とタテマエを見分けられるようになること
人間社会には「よのなかの全ての物事は二面生を孕んでいる」という真理があると思います。せわしない日常に揉まれていると、どうしても楽をして思考停止する方へ流されてしまいがちだけど、この「物事の二面性」を意識するだけでも、そうした日常のなかでふと立ち止まって考える、という習慣を身に付けやすくなるんじゃないのかな、と。立ち止まって考えられる能力があれば、どんな環境に置かれても、自ら現状を打破するきっかけを作れるんじゃないかと思います。
ここでいう二面性というのは、構造としての二面性です。本音とタテマエ、与える側と与えられる側、搾取する側とされる側、モテと非モテ、など。そういうものを見分けるために、純粋無垢なまなざしでよのなかを視るのではなく、あらゆる事象・物事の「見て、感じていること」とは対極の裏側が必ずある、というフィルターを備えるということです。
ビジネスの世界で有名なパレートの法則を意識するのと近い部分があるかもしれません。パレートの法則とは、全体を構成する要素の大部分は一部の要素である20%が生み出している、というもので、80対20の法則などとして知られています。この法則はビジネスの世界に留まらず、あらゆる自然現象や社会現象も、紐解いてみれば100%の構成のうちの20%ぐらいの要素で成り立っているものなんだと。こういうマインドで全体を俯瞰する意識が大事なのではと思います。なんだか抽象的になってきちゃいましたが。。
メタ思考を身に付けるため
日常のなかで起こるあらゆる事象を、見たまんま100%で受け取っていては、その事象を俯瞰してみるマインドが養われないと思うんです。この人はこう言っていたけど、本音の部分は違うところにある、とか。俺は今こう感じているけど、本当はもっと別のところにこう感じる理由があるのではないか、とか。外部のことでも内部のことでも、あらゆる物事に対して二面性を意識して、一歩下がって受け取る癖をつけることこそ、メタ視点を持つ第一歩になるような気がしています。
子どものままの純真の目ではなく、表裏のフィルターをかけた目でよのなかを視ること。
おそらくこんなことは大人として普通に生きていれば誰もが知っている、無意識に体感している当たり前のことなんですけど、それを敢えて意識し言葉にすることによってメタ視点を、ひいてはメタ思考を身に付けられるんじゃないか思いました。
例えば何かの記事や本を読んでいたとして、「ここにはこう書いてある。でも筆者の本音や意図はここにはなくて、読者の考えをうまいこと誘導するためにこういうことが書かれているんじゃないか」とか。あるいは、ムキムキの男の人がいて「この人は本当は対人能力に自信がなくて、それを補うために身体を鍛えて傷付けられないようにムキムキになってるんじゃないか」とか。とにかく、見たもの感じたものをストレートに受け取らずに、小さなことにもきっと表と裏がある、と考える習慣を持つ、と。
まとめ
どんなことでもそうだけれど、結局一番役に立つのは、自分の身体を動かし自分の実感を伴って辿り着いた答えだと思います。他人や本から得たできあいの知識とかじゃなく。
ただ、自分の実感を通してと言っても、ただなんとなく純真の目で見ていては気付きにくいことがある。往々にして、その気付きにくいところに人々の本音や物事の価値は存在する。そのため、メタな視点が必要になってくる。賢い人たちはそもそも備わっているんだろうけど、俺にはそんなことできなかった。
だから、まずはこのぐらいの小さな意識習慣から自己改善というものは始まるんじゃないかと思ったのです。すべての物事には二面性がある、という意識付け。その意識付けの習慣化によるメタ思考の体得。
思いっきり精神論になりましたけど、そういう小さなところからマインドセットの力をつけていこうと思います!
【オナ禁29日目】
オナ禁+エロ禁開始から4週間が経過して
大きな変化としては何といっても運動習慣がついたことですかね。
運動自体は以前からやってはいたんですけど、その質と量が上がりました。
もう毎日毎日、身体を動かしたくて仕方がないです。
ランニング、自重トレ、タバタ式HIITバーピー、懸垂など、とにかく肉体をいじめ抜いてます。
じっとしてられないというか、いいからだになりたい!という、ある種強迫観念めいた思いが常に駆け巡っていて、勝手に身体が動いてしまう感じです。これがテストステロンの上昇によるものならば、とてもいい徴候です。
これに加えて、読書、勉強など、知的活動も同時にやっていければいいんですけど。。そっちの気力はてんで湧いてこないんですよね。「勉強とはキモくなることである」とは千葉雅也先生が仰っていた言葉ですが、進化心理学にのめり込んでからというもの、静と動の「静」側の活動をやる気力がまるでなくなってしまった。有益だとは分かっているんですが、キモくなることに抵抗がある。結局、言い訳して逃げてるだけなんでしょうけど。とにかく、今後の大きな課題ですね。
あとひとつ気になることがあって。「シコリたい!」という衝動みたいなものが思ってたよりやってこないんですよね。これっていいことなのだろうか。あのムラムラに突き動かされることで「何が何でも女性を魅了してGETしてセックスしよう」とう原動力になり、セクリセへと繋がっていくと思うんだけど。それがないって事で、まるで自分の性欲そのものが消失してしまったかのように感じてしまう時がある。
まあ、そんなことはないと思うけど。
どうせなら、このまま自分をもっと追い込みたい。いじめたい。
そういうわけで、ここからは新しいメニュー追加します。
サプリメントの併用
男性の精力に効くとされるサプリをガンガン飲んでいこうと思います。
現在、含有量の多い海外産のものを取り寄せている最中です。到着が待ち遠しい。
これらをガンガン飲んで、ムラムラ衝動を掻き立てて、でもオナニーはしないっていう、過酷な毎日を過ごしていこうと思います。
今回のオナ禁の誓約には相当の覚悟を持って臨んでいます。強固な意志がありますので、オナニーしてリセットというのは今回はないと思います。ムラムラ上等ですよ。それら性エネルギーをすべて行動に変えていくだけです。
本当に、お人好しで草食でなよっとした弱い自分には、もううんざりなんです。
なんか、男性ホルモン注射で性格が豹変して攻撃的になった、みたいな話があるじゃないですか。そういうのを望んでいるんですよ。自分を変えたい。攻撃的になったっていい。むしろなりたい。ある種の自傷行為というか、破壊衝動ですかね。自分とかもうどうなってもいい、みたいな心境です。
筋肉体操に出演されている武田真治さんは、かつて「優雅な肉体が最高の復讐である。」という自叙伝を出していた。過去に読んたときはおそらく「すごいなぁ」ぐらいにしか思ってなかったかもしれない。でも、今の私にはなんだか、この本のタイトルがとてもしっくり来るんです。それは「優雅な肉体」というよりは「最高の復讐」という言葉にしっくり来る。そのフレーズに共感できる。
そう、今の自分の原動力になっているのは、復讐なんです。
私はかつて一人の好きな女性に執着していました(今もしている)。彼女ととても幸せな時間を過ごしていた。5歳も年下でしたが、心から自分をさらけ出せるし、可愛くて賢くて魅力的な子でした。ただ、ふがいない自分のせいで、彼女はどこかへ行ってしまった。私に魅力がなかったもので、しばらくして離れていってしまった。彼女の行った世界は、お金と権力と人脈のはびこった、ギラギラした世界です。なんでも、どこかの社長に気に入られたらしい。いい男が見つかればそちらへ流れるのは生物として当然のことです。人間社会にも性淘汰は働いているのですから。彼女は私より魅力のある人と居場所を見つけ、そちらへ移っただけ。
そんなよくある失恋の経験が、オナ禁の原動力になっています。そのときの自分への復讐。そして彼女への復讐。見返したい!という気持ち。
ただこれも結局、非モテコミットなんですよね。執着がある限り、弱いままです。
だけど、負の感情が人を変えるということもあると思うので。
これからも禁欲と男磨きを頑張ります!