ままならぬ日々の所感

メンタルと自己改善と男磨き

デトックスの重要性

情報過多な今、必要なのは引き算

足りないものばかりで泣けてくる時がある。

なんで俺にはこんなに何も無いんだって。

でもそうじゃないんです。本質的には何が必要なんだってのを考えられてないからそういう風に思っちゃうんです。

人と比較してより多くを持ってる人って、絶対心の中で「俺(私)は周りよりもイケてる」って思ってる。自分よりも下だと感じる奴を前にすると自覚的にせよ無自覚にせよ精神的にどこか安心し、自らの優位性を確認するかのようにそこが組織内であれば周りにこの格差を誇示するし、対面であればどこか粗雑に扱うかのような振る舞いが滲み出てくる。

 

ただし忘れてはいけないことは、上には上がいるということだ。

 

ここ最近俺はウバ活に勤しんでいて、ママチャリ1つで23区を駆け回っている。その活動の中で、都心ではいわゆる上流階級からの注文が来る事もけっこうあり、お届け先には六本木ヒルズの何十階だったり、青山地区の高級ホテルみたいな広大なマンションだったり、湾岸エリアのタワマンなどが指定されることもある。今の俺には全く手が届かないような高級住宅だ。

そこの人々の暮らしが垣間見えるとき、なんだか俺は日々自分が感じてる周囲に対する劣等感が本当にこの世のカスみたいに思えてくる。この人らにはまた違った悩みがあるんだろうけど、俺みたいな持たざる者の欠如感みたいなものとは一線を画す次元のものなんじゃないか。そしてもっと上は腐る程いる。

そう思ってたんだけど、いや待てよと。

むしろ本質は同じなんじゃないのかな。

他人が持っているものを見ては自分は足りない足りないと悩む機会は、中途半端に持てば持つほど多くなりそうだ。

金、女、身長、ルックス、才能…。俺は他人が持つ"それら"を歯軋りしながら羨んで欲しているわけだが、頑張って手に入れても上には上がいるわけで、自分より持っている人が目についてその度に悔しくて仕方なくなるわけだ。

それってアホくさいよな。

だから、本質を突き詰めて、俺にとって何が幸せなのか、俺は何を欲しているのか、抽象化と具体化を繰り返し行い、それら以外は「デトックス」するぐらいがいいのかもしれない。

日常の中で自分の意思はなんなのかを真剣に考えたとき、要らないもの、デトックスの対象になるものは様々ある。

そう、何をやるにも「そこに自分の意思はあるのか」を問い続けていきたい。

スマホでちまちまYahooニュースを見てる時間に意思はあるのか?無いなら情報デトックスだ。

他人と比較して自分には無いと嘆いているその無駄な時間に自分の意思はあるのか?ないならその欲望も一旦デトックスだ。

日常の中のちょっとした行動に自分の意思はあるのか?無意識が大半の行動を支配すると言われているし、別にいちいち意思なんて無くてもいいけれど、それによって無駄にお金や時間を費やしているのなら一度考えたほうがいい。それはただ脳内をドーパミン分泌の報酬系に支配されてるからってだけの行動じゃないのか?もしそうならドーパミンデトックスだ。

 

プラスするんじゃなくてマイナスしていく思考、自分の意思を持って要らないものはデトックスしていく重要性、これらを意識して生きていきたい。